草刈正雄ファミリーヒストリー特別編!アメリカへ決意の旅路 - ダンス&ボーカルファン
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草刈正雄ファミリーヒストリー特別編!アメリカへ決意の旅路

TV番組
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数々のドラマやCMに出演し、活躍を続けている草刈正雄さん。

2023年8月に放送されて大反響を呼び、神回といわれた草刈正雄さんのファミリーヒストリーの『特別編』が、12月に放送されました。

2024年2月11日、その『特別編』が再放送されます。

今回は、草刈正雄さんのファミリーヒストリー『特別編』をご紹介します。



草刈正雄ファミリーヒストリー特別編!「アメリカへ決意の旅路」あらすじ

大反響を呼んだ、2023年8月に放送されたファミリーヒストリー。

>>草刈正雄ファミリーヒストリー!「初めて知る米兵の父 97歳伯母が語る真実とは」

その続編が、今回ご紹介する草刈正雄ファミリーヒストリー特別編「アメリカへ決意の旅路」です。

草刈正雄さんは、スタジオで初めて米兵だった父の写真と対面しました。

その後葛藤を抱えながらも、父方の親族に会うため渡米。

番組は、決意の旅路に密着します。

草刈さんの長女・紅蘭さんは、草刈さんは勇気を振り絞って渡米したと明かしました。

父とのつながりを何十年もの間さがしてきた草刈さんは、お酒を飲んだタイミングや、ちょっと弱音を吐くシーンのときは、いつも紅蘭さんに

「どんな父親だったのかな。どう思う?」

と、尋ねてきたのだそう。

かれこれ、100回以上も。

どれほど、草刈さんの心に父への思いがあったのかが伝わってきますね。

アメリカでは、いとこ・ジェイさんが日本の日の丸を掲げて草刈さんを迎えます。

しかし父の墓前では、母の苦労を思い、複雑な感情がわきあがってくるのでした。

草刈さんは、父母のことを知る97歳の伯母と初対面を果たします。

涙する草刈さん、嗚咽する伯母…。

その理由を探ります。



草刈正雄ファミリーヒストリー特別編!渡米を決意

>>草刈正雄ファミリーヒストリー!「初めて知る米兵の父 97歳伯母が語る真実とは」

草刈さんは、父親は朝鮮戦争で戦死したと聞かされてきました。

しかし、真相は全く違っていたのです。

なんと父は10年前まで生きていたことが判明。

前回の放送では、アメリカの親族ともつながることができました。

アメリカに住む97歳のおば・ジャニタさんから受け取った手紙には、

「どうか どうか 私たちに会いに来てください」

とつづられていました。

前回のスタ時ジオ収録の後、草刈さんにはある決意が芽生えました。

その様子を、草刈さんの長女・紅蘭さんが語っています。

ジャニタさんからの手紙の内容が、草刈さんの心に刺さったこと。

もう行かなきゃ、と直感的に思ったこと。

そして7月、父のふるさとアメリカへ。

草刈さんは、70年の空白を埋めるかのように、親族と交流し、ルーツに向き合います。

一方で、自分たちのもとを去った父への感情は、大きく揺れ動きました。

父の墓前に向き合う草刈さん。

「複雑ですね」

とつぶやきます。

日本とアメリカ。

止まったままの家族の時計を再び動かした草刈さんの決意の旅に密着。



草刈正雄ファミリーヒストリー特別編!いとことの対面

ここは、ノースカロライナ州グリーンズボロ。

前回の放送で、草刈さんのいとこだとわかったジェイさんが待っていました。

自宅の前に、日の丸の旗を揚げて歓迎しました。

空港に到着した草刈さんは、

「もともと飛行機が苦手で、15時間乗っている間、疲れているにもかかわらず一睡もできなかった」

とこぼしていました(笑)

ついにジェイさん夫妻と対面した草刈さんは、とても緊張しているようにみえました。

顔がこわばっているみたい。

そして、「すみません、こんな顔して英語が全くしゃべれないもので」と伝えたあたりから、笑みがこぼれ、場の雰囲気が和んだように見えました。



そして、いとこのジェイさんは、この日のためにある準備をしていたのだとか。

草刈さんが出演していた大河ドラマ「真田丸」のDVDセットを購入したのだといいます。

夫婦で一晩に3エピソードずつ観て、全部観終わったのだそうです!

真田丸は全50話ありますから、二週間以上かけて制覇したのですね!

すごい!

真田丸では、主人公の父親役「真田昌幸」が当たり役となりましたよね。

しかし、草刈さんは、これまで父親役には抵抗を感じた時期もあったといいます。

「おやじを知らないから、おやじ役というのは…」

「おやじが生きていたらどういうふうなことになっていたんだろう」

ずっとこんなことを考えながら生きてきたと明かしていました。

そんな葛藤を抱えながら練り上げてきた、ひとつひとつの役どころ。

その作品をジェイさんが観てくれたことで、少し気分が和んだようです。

70年越しにつながった、ふたつの家族。

全米中からジェイさんを探し当てたのは、まさに奇跡のような出来事でした。



ジェイさんは、おじであるロバートさん(草刈さんの父)のことを、背が高くてハンサムだったと語りました。

そして、草刈さんは、おじのいいところをすべて受け継いだ、と。

それを聞いた草刈さんは、とても嬉しそうな笑顔でした。



草刈正雄ファミリーヒストリー特別編!迷っていた父・ロバートの墓参り

今回の渡米で、草刈さんがぎりぎりまで迷っていたことがあります。

父・ロバートさんのお墓参りのことでした。

訪ねたのは、共同墓地の中にある小さなお墓。

「2013年 父 ロバート・トーラー 死去 享年83」

朝鮮戦争から生還し、25歳のとき別の女性と結婚し、退役後は婦人服の販売会社を経営していました。

ロバートさんは、最期の瞬間まで、日本での出来事を口にすることはなかったといいます。

草刈さんは、お墓の前で

「この前に立てるとは思いませんでした」

「複雑ですね。どういっていいのか」

とつぶやきます。

複雑な思いにさいなまれ、心の整理がつかない草刈さん。

父の墓前、女手一つで育ててくれた母の姿が頭をよぎります。

「こんなに言葉が出ないとは思いませんでした。」

前回の番組では、苦労を重ねた母・スエ子さんの人生を描いています。

>>草刈正雄ファミリーヒストリー!「初めて知る米兵の父 97歳伯母が語る真実とは」

 



草刈正雄ファミリーヒストリー特別編!おばとの対面

97歳のおば・ジャニタさんの家を訪ねます。

案内をしてくれたのは、いとこのジェイさん。

ジャニタさんの家の前にもまた、日の丸の旗が掲げられていました。

ついに、甥と伯母が対面を果たしました。

「正雄です。」

「本当に私を好いて(許して)くれるの?」

2人とも素晴らしい笑顔です。

「本当に会えてうれしいわ。素晴らしいわ。」

「Thank youです。」

Thank youです、という草刈さん、お茶目ですね(笑)

「お手紙ありがとうございました。」

「私はただ座って、心の底から感じたことをすぐに書いたの。」

2人はずっと手を握り合って言葉を交わしていました。

「あなたは70年間、ずっと私の心の中にいたわ。」

その言葉を聞いて、草刈さんはジャニタさんをハグしました。



草刈正雄ファミリーヒストリー特別編!スエ子からの手紙、おばの後悔

ジャニタさんは、草刈さんとスエ子さんを思い、自身を責め続けてきたといいます。

1952年、ロバートさんは、妊娠したスエ子さんの前から突如姿を消しました。

実は、職務の都合での帰国。

ジャニタさんは、当時の様子を憶えていました。

ロバートさんは、日本での顛末を誰にも明かさなかったといいます。

でも帰国後、ロバートさんは困惑し、神経衰弱になっていました。

床に座り込み、手を頭にやったままで…。

代々軍人を多く輩出し、私生活の規律も厳しかったトーラー家。

ロバートさんは、結婚前に日本人女性との間に子供ができたことを言い出せず、うなだれていたのでした。

そんな弟の面倒を見る自信はなかったとジャニタさんは語ります。

そこで、陸軍に移動したのだからドイツへ行くべきだと勧めました。

弟が軍隊の生活に戻れば、またシャキッとすると思ったのだそう。

結局ロバートさんは、覚悟を持てないまま、姉の勧めに従い、西ドイツへ旅立ったのです。

そのころ、渡米を意識していたスエ子さんは、ロバートさんから聞いていた住所に手紙を出していました。

受け取ったのは、ロバートさんの母と姉たち。

当時は生活も苦しく、なすすべがなかったといいます。

「頭に何も浮かびませんでした。日本はとても遠い。しかも私たちは日本の敵国でした。」

スエ子さんはなんとか子供を手放さず生活ができるよう、努力していて、子供を偏見から守りたいうことを、その手紙から理解したそうです。

当時家族で一番若く、お金もなかったというジャニタさん。

親子の無事を祈ることしかできなかったと語り、涙を流しました。

「弟に西ドイツ行きを促さなければ、親子3人の距離は再び近づいたかもしれない。」

その後悔に、ジャニタさんはさいなまれてきたのです。

スエ子さんに返事を書いたのは、次女でロバートさんの姉・マーガレットさん。

わずかなお金を同封し、事実を伝えたといいます。

受け取ったスエ子さんはすべてを悟り、ひとりで子供を育てる覚悟を決めたのです。

ジャニタさんは草刈さんに語ります。

「私たちはみんな、あなたのお母さまがたった一人であなたを育てたことをとても尊敬しています。彼女に会いたかったわ。」



草刈さんは、自身が外国にルーツがあることがわかる顔立ちであること、またその外国人の子を産んだ母親ということで、差別をされてきたと明かしました。

「あいの子、あいの子」と、どちらかというとちょっと汚い言葉で呼ばれたりもしていたそうです。

「だから母親は横道にそれないよう、そこを一番必死になって育ててくれたのだと思います。感謝しています。」

と語りました。

それを聞いてジャニタさんは、こう明かしました。

「そうでしょうね。彼女にのしかかる重圧は想像を絶するものだったと思うわ。でも彼女の決意は固かったのね。」

そして草刈さんは、ジャニタさんに見せたいものがありました。

草刈さんの娘や孫、家族の写真です。

ジャニタさんは、草刈さんが幸せであることを知り、とても喜びます。

そして、アメリカのいとこたちが大集結。

草刈さんは、たくさんのアメリカの家族に囲まれて記念撮影。

とても嬉しそうでした。



別れのとき。

草刈さんは、ジャニタさんに日本で書いてきた手紙を渡しました。

手紙を書くのが得意なわけではなかったけれど、それでも書かないと、という思いで書いたのだといいます。

そう思わされるほど、ジャニタさんからの手紙に心を動かされたのですね。

草刈さんが去った後、ジャニタさんは手紙を読みました。

手紙の最後に、「あなたの甥 正雄より」と書いてあるのをみて、ジャニタさんは嗚咽していました。

伯母と甥が心を通わせた瞬間ですね。

ジェイさんの家の一族の写真が飾られた壁には、草刈さんとスエ子さんの写真もあらたに加えられていました。



草刈正雄ファミリーヒストリー特別編!アメリカへ決意の旅を終えて

紅蘭さんが、帰国した草刈さんの様子を語りました。

草刈さんは、すっきりした表情で帰ってきたといいます。

ロバートさんの写真をみながら、「似てるかな?どこが似てる?」と嬉しそうに聞いてきたそうです。

もし、気持ちにわだかまりが残っていたとしたら、そのような相手に自分が似ていることを、そこまで喜んだりしないでしょう。

だから、アメリカに行って本当によかったと、紅蘭さんは思ったそうです。

草刈さんはこれから先、また新たな気持ちで、ますます活躍の場を広げてくださるのではないでしょうか。



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