横山裕の生い立ちに涙!母親が急死?両親の離婚・義父の姓を継ぐ理由とは
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横山裕の生い立ちに涙!母親が急死?両親の離婚・義父の姓を継ぐ理由とは

旧ジャニーズ
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今回は、根強い人気を誇るSUPEREIGHT(旧・関ジャニ∞)の横山裕さんに注目!

横山裕さんは、アイドルとしてだけではなく、ドラマやバラエティなどでも現在活躍中ですよね。

いつも笑顔で、見ているこちらまで楽しくなります。

横山裕さんも番組などで自分で話しているので、知っている方も多いかもしれませんが、横山さんの生い立ちは意外と壮絶なものでしたよね。

そんな横山裕さんの両親の離婚、母親の急死など、生い立ちについてまとめています。



横山裕の生い立ちは壮絶だった!両親は離婚していた!

横山裕さんは大阪府で生まれました。

3歳の時に両親が離婚したため、4歳からは横山さんは祖父母に育てられます。

過去の番組で、両親が車の中で離婚話をしていたことを鮮明に覚えているとあかしています。

それが子供のころの一番の思い出だと。。。

3歳だった横山裕さんの心に、深い傷を負ってしまったこと、想像しただけで涙が出そうになります。

親権は母親にあったそうですが、お仕事など忙しかったのでしょうか。

横山裕さんは同じ団地の2階上に暮らしていた祖父母に育てられていたそうです。

両親の離婚から2年して、横山さんが5歳のときに母親が再婚したため、また一緒に暮らし始めることになりましたが、義父と横山さんの関係は良くありませんでした。

義父は横山さんに冷たく当たり、「お父さんと呼べ」と手をあげられたこともあったといいます。

その光景を想像すると本当に胸が苦しくなってしまいます。

母親も祖父母も、そんな状況にたえられなかったのでしょうか。

横山さんは再び祖父母と生活することになったそうです。

横山裕さんにとって、祖父母の存在は本当に救いだったのでしょうね。

いっぽう、母親と義父の関係は良好で、横山さんが6歳のときと8歳のときに弟が生まれます

その後も横山裕さんだけ祖父母と生活していましたが、横山さんが小学5年生のときに祖父が体調を崩し、一時は7人で暮らしたこともあったといいます。

そして、祖父は横山さんが中学2年生のときに亡くなってしまったのです。



横山裕がジャニーズ入所!母が履歴書を送った!

祖父が亡くなった後、横山裕さんも母親・義父・弟2人と一緒に生活することになりました。

弟とは仲が良かったそうですが、義父との関係は修復できませんでした

中学卒業後は高校に行かず、働くことを強要されてきたそうです。

今でも横山さんは、義父のことを「あのおっさん」と呼びます

2人の関係性がうかがえますね。

でも母親からはたくさんの愛情を受けたと、横山さんがある取材で明かしていました。

そんななか、横山さんが中学2年生のときに、母親がジャニーズ事務所に履歴書を送ったのだそうです。

結果、見事合格!

横山裕さんは中学3年生のときにジャニーズに入所し、中学卒業後は家を出て、ジャニーズに所属しながら建設現場で働いていたといいます。

同じ世代ではなかなか経験しないような苦労を、乗り越えてきたのでしょうね。

横山さんの人柄により、職場での人間関係は良好だったそうです。

 

横山裕の母が病気になり、義父と離婚!

横山裕さんが23歳になり、関ジャニとしてデビューしてから、母親ががんを告知されたそうです。

母親が病気になったことをきっかけに、夫婦関係がぎくしゃくし、義父とは離婚することに…。

え、どうして?ひどすぎる!と思ってしまいました…。

さまざまな事情があったのかもしれませんが、なぜ病気を理由に離婚することになったのか、モヤモヤしてしまいますね…。

横山さんは、

「僕がしっかりしないと弟たちの将来がめちゃくちゃになる」

「2人が独り立ちするまで支えなければ」

と考えました。

噂では、弟2人は児童養護施設へと入所することになったという話もあれば、母親が親権を持ち、母親・横山さん・弟2人で質素な生活をしたという話もあります。

どちらにせよ、横山さんも働き、家計を助けていたそうです。

ここまでの話だけでも、まだ小さかった横山さんには相当辛かっただろうなと想像できます。

横山裕さんと母親の間には、いろいろ事情はあっても深い絆でむずばれていたのでしょうか。

母親との関係まで崩れなかったことはなによりですよね。



横山裕の母親は急死だった!

横山裕さんが関ジャニ∞としてデビューし、活躍している中で、当時50歳だった母親が買い物途中に倒れてしまい、そのまま帰らぬ人となりました。

当時、横山さんはソロツアー真っ最中。

スタッフはツアーの中止を提案したそうですが、本人は中止を選ばず最後までやり遂げました。

「来ていただいているお客様には関係のないことやし、絶対バラしたらあかん」とスタッフに言っていたそうです。

コンサート中に、母親を思って書いた「オニギシ」という歌を歌うときは、涙が止まらなかったと、のちに明かしていました。

母親が倒れる前に、大阪城ホールでソロコンサートがあり、そのときには母親も見に来ていたそうで、「親孝行ができた。」と番組で語っています。

50歳は早すぎる死ですね。

横山さんも母親の元へ早く駆けつけたかったに違いありませんが、コンサートを続けることを選択したというのは、横山さんのプロとしての意識と覚悟がとても高いものであることがわかります。



横山裕の生い立ち!義父の姓だった?

横山裕さんは横山裕という名前で活動されていますが、裕というのが芸名というのは有名な話ですよね。

横山という名字は、実は義父の姓だったそうです。

横山さん本人がテレビ番組で明かしていました。

横山さん自身は義父と関係は良くなかったようですが、家族・弟との唯一の繋がりが、”横山”の姓だったのでしょうか。

横山裕さん自身はそう思っていないのかもしれませんが、何か複雑な気持ちになりますね。

横山さんの本名について書かれた記事はコチラ↓↓↓



横山裕の生い立ち!弟は2人いる!

初めにも触れましたが、横山裕さんには父親が違う弟が2人います。

それぞれ6歳と8歳離れており、三男の大学の学費は横山さんが負担していたことはファンの間では有名です。

また、母親が亡くなられた後は3人で大阪で一緒に生活していたと、横山さん本人も明かしていましたね。

「弟たちの面倒は俺がみる」と誓ったのだそうです。

一緒に生活を始めた当時は距離感が少しあったそうですが、やはり子供だからでしょうか?

すぐに打ち解けて仲良くなったそうです。

次男は、母親が亡くなったショックで記憶喪失になり、2年間ほどの記憶を失ってしまったのだといいます。

そんな弟を支えたのも、横山裕さんでした。

次男の結婚式のエピソードはファンの間でも有名ですよね。

横山さんが結婚式をするようにすすめ、トランペットを吹くはずだったのですが、父親代わりに育ててくれた横山さんにと次男が読んだスピーチで号泣してしまい、うまく吹けなかったそうです。

次男とは6歳しか離れていないと言っても、中学卒業後から働いて家計を支えていた横山さんからすると、弟というよりも子供みたいに感情移入してしまったのでしょうか。

また、三男である弟は大学に進学し、現在税理士として立派に活躍しているそうです。

もちろん、学費はすべて横山裕さんが出しています。

横山裕さんの弟について気になる方は、こちらの記事もチェックしてみてくださいね↓↓

>>横山裕の弟は税理士!学費も負担、記憶喪失に寄り添う絆とは

横山裕さんは、いまだに義父への複雑な思いは消えていないそうですが、かわいい2人の弟と会わせてくれたことには感謝の気持ちがあるそうです。

横山裕さんだけでなく、弟2人にとっても壮絶な過去だったに違いありませんが、兄弟3人が仲良いだけでも幸せですね。

今後も兄弟3人いい関係が続けばいいなと思います。

弟エピソードもまた番組などで話してくれると嬉しいですね!



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