清塚信也の国籍は?韓国人母のハーフ!姉は清塚美耶!徹子の部屋で語ったエピソードとは

音楽&ダンス

ピアニストの清塚信也さんは、ピアノ演奏だけでなく、絶妙なトークでも人気を集めていますよね。

清塚信也さんは、日本人の父親と韓国人の母親のハーフです。

今回は、徹子の部屋で語った清塚信也さんの母親のこと、幼少期に母親から受けた、驚きのスパルタ教育についてもご紹介!

ぜひ最後までお付き合いくださいね!



清塚信也の驚きの幼少期と母への想いとは?徹子の部屋で明かす!

 

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清塚信也のコンサートはトークが面白すぎる!?

2023年は、7万人動員となった全国47都道府県ツアーを開催。

コロナ禍におけるコンサートの可能性について、音楽家がどうやってコンサートを開き、ファンと向き合っていけるか考え、悩み、自身で背負い込んでいたのだといいます。

そんななか開催された全国ツアーの映像を振り返りながらトークが進みました。

清塚信也さんといえば、ピアニストとしての魅力に負けないくらいのトーク力の持ち主。

コンサートに訪れるファンのなかには、トークの時間が楽しみすぎて、早くピアノ演奏が終わらないかな、なんていう人もいるくらいなのだとか!

そんな清塚さん、子供のころはなんと寡黙な少年だったといいます。

取材などがあってもあまり話せない性格で、それがコンプレックスだったのだそうです。

てっきり、子供のころから人を笑わせたりすることが大好きだったのかと思っていました。



しかし、高校生くらいのときに、人とつながり合わなければ音楽をやっている意味がないと思うようになり、しゃべりにつながったのだそうです。

また、クラシックには難しい曲もたくさんあるので、それを解説したいという気持ちもあったのだといいます。

それがいつしか、ただの解説ではなくて笑いを取らないと気が済まなくなったのだとか!

最近では、コンサートの半分くらいはしゃべっているのではないか、と(笑)

プログラムを決める段階でも、しゃべれるかどうかで曲を決めているような感じになっているのですって!

それじゃ楽しいコンサートに決まってますね!

47都道府県ツアーでのサントリーホールで開催されたコンサートの演奏が聴けるDVDも発売されています。

楽しいトークも満載なので、ぜひ聴いてみてはいかがでしょうか。

高校生のころから、そんなスタイルのコンサートをしているという清塚さん。

最初のころは、先生方や先生方に怒られて、厳しいことをいわれたそうです。

「次やっているのをみたら、干すからね!」

といわれたこともあったのだとか!(笑)

そういわれても、

「すみません すみません もう やりません」

といいながら、絶対次もやる!と思っていたのだそうです。

もう面白いです(笑)

「徹子の部屋」始まって5分もたっていないのに、清塚トークに引き込まれてしまいました(笑)

清塚さんは、ピアニストの中村紘子さんからピアノを習っていたのだそう。

レッスンのときに、よく黒柳徹子さんのお話を聞かされていたのだといいます。

中村紘子さんは、残念ながら2016年に亡くなっています。



清塚信也の幼少期とスパルタの母

清塚さんの母親は、なかなかのツワモノ!?

いくつかの逸話があります。

家に間違い電話がかかってくると、まずその相手にコンサートチケットを売ったのだそう。

清塚さんはそんな母親を「コミュニケーションの怪物」と称していました。

スパルタでとても厳しい母親ですが、息子の一番のファンでもあるのです。

厳しさのなかに、愛があふれていたことを、息子としてちゃんとわかっていて、とても素敵な親子だと思いました。

とはいえ、本当にスパルタだったようです。

清塚さんは、幼少期から「できるだけ寝るな!」といわれ、毎朝5時に起こされ、夜も力尽きるまで練習・音楽の勉強の毎日。

漢字や計算は雑念だと思っていい、全部いらない、という極端なことまでいわれていたといいます。

そして、音楽の知識だけを叩き込んだのだそう。

「音楽は戦いだから コンクールでライバルを蹴落としていけるように頑張りなさい」

「音楽の”楽”は”楽しい”と書くが 学校で”楽しい”という漢字の意味を習ってもそれだとは思うな」

姉と遊んでいてキャッキャと笑うと

「今は笑うな 今笑ったら音符が逃げる 今はしっかり音符をたたき込んで 人生の後半で笑え」

といわれ続けたといいます。

本当にスパルタですね。

そこまでしたからこそ、今の清塚信也さんが存在するのかもしれませんが!?



清塚信也が厳しかった母への想い・感謝を語る

40代になった今、母への感謝の思いを明かします。

母は一番のファンでいてくれたし
自分の娘たちをみて 愛するって可愛がることだし
笑顔をみたいと思うことだし
これを母もきっとやりたかったんだろうなと
だけどそれをやらずに 心を鬼にして厳しくしてくれたことは
悔しいけど母のいうとおりになってしまった
そういうことが今につながったということはたくさんあって
子供が”好き”という範囲でやっただけではできなかったな というところまでは
引き上げてくれたと思っている
それでもやっぱり ただ怖いだけではなくて
楽しんで音楽を勉強するというのも
私の次に渡す代からは教えてあげたいという気持ちもある

徹子の部屋より

母親のおかげで、へこたれない性格にだけはなったのだそうです!

心臓は強いしスタミナはあるし、今ほとんど寝なくても活動できてしまうのだとか。

清塚さん、もう10年以上、休みがない生活だというのも驚きでした!



清塚信也の母は孫には甘い!?

清塚信也さんには、妻・乙黒えりさんとの間に2人の娘さんがいます。

清塚さんをたいへん厳しく育てた母は、孫には甘いのだとか!

塾に入れるかどうか相談した際も、

「信也 子供はね 遊ばせてのびのびと教育するのよ」

といわれたのだそうです。

母は、娘と息子を厳しく育てたのはちょっと間違いだった、といってたのだとか!

本当にユニークなお母さまですね(笑)

清塚さんの妻や娘さんについてまとめた記事もありますので、チェックしてみてくださいね。

>>清塚信也と乙黒えりの馴れ初め!娘の学校は?妻もハーフ?



清塚信也の姉はバイオリニスト・清塚美耶

清塚さんとともに母親からスパルタ教育を受けてきたという姉は、バイオリニストの清塚美耶さんです。

3歳から英才教育を受け、音楽の名門・桐朋学園大学時代に音楽留学のために渡米し、大学を中退しているようです。

姉も弟も、私たちの想像が及ばないような苦労や経験をされてきたのではないでしょうか。

その結果、輝かしい今があるのだと思います。



清塚信也の恩人は徳永二男!そのエピソードとは?

バイオリニストの徳永二男さ徳永二男さは、清塚さんが学生のころからの恩人なのだといいます。

徳永二男さんといえば、バラエティ番組で高嶋ちさ子さんが

「人間界で恐れている唯一の人間」

だという恩師として紹介されていました!

怖い方なのでしょうか??

清塚さんが学生時代に出会った徳永二男さんとのエピソードを明かしました。

なんでも、清塚さんは、とても生意気な学生だったそうです。

ある奨学金をもらえるオーディションを受けたときのこと。

演奏と面接が終わった後に、なんと審査員長の先生と口論になってしまったのだとか。

当然、オーディションは不合格。

奨学金をもらうことはできなかったのだそうです。

面接は、人となりをみられるものでもありますから、審査員長と口論してしまったのなら、合格は難しいかもしれませんよね。

それにしても、いったいどんなことで口論になってしまったのか、とても気になります!

清塚さんが、ダメだなと思って帰ろうとしたら、徳永先生がスーッと帰り際に寄ってきてくれて

「僕は 君のそういうところが 好きだよ」

と声をかけてくれたのだそうです。

清塚さんは当時16、17歳だったそうですが、そのときのそういう一言が、のちのち ずーっと人生の支えとなったとあかしていました。

「これで支持をしてくれる一流の先生もいるんだ」という自信になったのですね。

現在、40歳を超えた清塚さんが、若い人にかけるひと言などもとても大事だと思っているのだそうです。

そういう意味で、徳永二男さんは、清塚さんにとって恩人なのだといいます。

清塚さんの40代の目標は、30代に休みなくやってきたので、これからは勉強をして知識を増やし、吸収しつつ出していかなければと思っているのだそうです。

また、若い方にどうつなげていけるかということも考えていきたいのだといいます。

今後の清塚さんのご活躍が本当に楽しみです。

清塚さんのコンサートに行って、楽しいトークを聞いてみたいと思いました。



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