阿部一二三・詩のファミリーヒストリー!奄美大島と徳島県にルーツあり! - ダンス&ボーカルファン
PR

阿部一二三・詩のファミリーヒストリー!奄美大島と徳島県にルーツあり!

アスリート
当ブログにはプロモーションが含まれています

柔道家の阿部一二三さん・阿部詩さん兄妹が、NHK「ファミリーヒストリー」に登場!

2024年パリオリンピックの年。

柔道家の阿部一二三さん・詩さんは2大会連続の金メダルを狙います。

今回は、そんな兄妹のルーツに迫ったNHK「ファミリーヒストリー」のあらすじをご紹介!



阿部一二三・詩のファミリーヒストリー

柔道のパリオリンピック代表に決定した、阿部一二三選手・詩選手の兄妹。

オリンピックに向け、体のコンディションは抜群だという阿部一二三選手と、東京オリンピックのころよりも強くなっているという自信があるという阿部詩選手。

ふたりは堂々とした笑顔で番組スタジオに登場しました。

ファミリーヒストリーに出演することになったのは、自身の歴史に興味を持った阿部詩さんが、兄・阿部一二三さんを誘ったからだといいます。

先祖に「強い人」「人のために活躍した人」がいればいいな、と楽しみにしている様子のふたりでした。

きっと、いらっしゃるでしょうね、そんな先祖が!



阿部一二三・詩は神戸で育った

阿部一二三んと詩さんは、神戸市兵庫区で育ちました。

ふたりの父・阿部浩二さんは、神戸市の消防士として働いています。

東灘消防署・六甲アイランド出張所に勤務されているそうですよ。

みるからに強そうなお父さん!

顔立ちは、どことなく息子と娘に似ているような気がしました。

今までほとんどのテレビ取材を断ってきましたが、今回、我が子がルーツを知りたいのならと、決心してくれたようです。



阿部一二三・詩の父方のルーツは?

阿部一二三さん・詩さんの父方のルーツとは。

阿部家のもっとも古い戸籍に書かれた住所は、

徳島県神領村(現在の神山町)。

父方の先祖のルーツは、徳島県にありました。

取材班が、現在の神山町に向かいました。

この地で生まれた4代前の高祖父・小平さんには子どもがおらず、大正12年に当時13歳だった金原敏一さんを養子に迎えたのです。

金原敏一さんは、阿部一二三さん・詩さんの曽祖父にあたる方ですね。

生家の住所を訪ねると…?

現在、金原繁雄さんが暮らしていました。

さて、どんな関係の方なのでしょうか。

お話を伺うと、一二三さんと詩さんの曽祖父・金原敏一さんの兄が、こちらの繁雄さんの祖父だとわかりました。

ん?難しい…

一二三さん・詩さんとは、少し遠縁にあたるのでしょうか。

そして、なんと金原敏雄さんは、阿部一二三さん・詩さんが金原敏一さんのひ孫であることを知らなかったようです。

番組スタッフからその事実を伝えられると、

血筋じゃということやな びっくりじゃー うれしいけど

もうそれは応援せないかん

と、うれしい驚きの様子でした。

そりゃそうですよね!

親族に、オリンピックの金メダリストがいたのですから!

金原家があるのは、とりわけ山深い地域です。

かつて、どんな人々が暮らしたのでしょうか。

徳島県立文書館に、その地域で明治6年に起きた騒動に関する文書がありました。

当時、明治新政府が強行しようとした地租改正

その政策が、自分たち百姓の生活を破綻させる危険性がある…

そう考えた人々が大勢集結して、立ち上がった事件が起こりました。

山間部で農地が少なく、厳しい暮らしを送るなか、人々には忍耐強さが培われたといいます。

いっぽうで、理不尽には屈せず、江戸から明治までたびたび一揆や騒動を起こしてきました。

なにか事態が発生した場合に、それを発火点にして、日頃考えることもできないような、想定以上のエネルギーを爆発させる…

そういう気質、気骨というものが、この地方に生きる人々に世代を超えて受け継がれてきたと考えられているようです。

一二三さん・詩さんの曽祖父・敏一さんは、そんな気質を備えていたというわけですね。

この地域だけではなく、このように大昔から受け継がれる気質というものがあるのでしょうね。

私自身のルーツも調べてみたくなってきました。



曽祖父がテーラー・阿部洋服店を開業!

戦前、曽祖父は、豊かな生活を夢見て、神戸でテーラーを開業していたことがわかりました。

外国文化の玄関口であり、居留地としても栄えた神戸。

いち早く洋服づくりの技術が発展していました。

金原敏一さん、当時の先端企業に目を付けたのですから、素晴らしいですね!

ただ、一人前になるためには、厳しい徒弟制度を乗り越えなければならなかったそうです。

アイロンを投げつけられるなど、あまりにも厳しい修行を続けられず、夢をあきらめる人もいたなか、敏一さんは…?

阿部洋服店

見事、26歳にして独立を果たしたのです!

厳しい競争に負けず、店を繁盛させていた曽祖父・敏一さんの強い忍耐力や精神力は、確実に子孫に受け継がれていますよね。



祖父は脱サラしてテイクアウトの天ぷら屋を開業!

そして、昭和11年に、長男・稔さんが誕生します。

後の一二三さん・詩さんの祖父ですね。

稔さんは、5歳のときに思わぬ悲劇に見舞われます。

友達と遊んでいて、なんと竹の棒が右目に刺さり、失明してしまいました。

想像を絶する苦痛だったのではないでしょうか。

稔さん本人もですし、ご両親もどんな思いだったことが…

そして、現在87歳となった稔さんはご健在。

稔さんからお話を伺うことができたようです。

子どものころは、片目を怪我していたことで、多少のいじめは受けたといいます。

でも、そんなことは何とも思わなかったと。

それよりも、自分もみんなと同じようにやりたいことがたくさんあったので、頑張ったとあかしていました。

高校は新学校へ進み、見事、神戸商科大学(現在の兵庫県立大学)に入学。

卒業後は会計事務所で働き、安定した職も手にします。

そして昭和40年、青春時代に打ち込んだというダンスで知り合った千代子さんと結婚します。

その3年後には、長男の初郎(はつお)さん、昭和45年には次男・浩二さんが誕生。

浩二さんは、のちの一二三さん・詩さんの父親です。

私が何より驚いたのは、祖母・千代子さんが、詩さんにそっくりだということ!

とてもきれいな女性です。

そんな順風満帆だった稔さんが、脱サラしてテイクアウトの天ぷら店を開いたのです!

もちろん、天ぷら屋さんも大繁盛。

稔さんが中心になって、地元の商店街を盛り上げたそうです。

稔さんの揚げた天ぷら、食べてみたかったですね。

美味しそう!



父は運動能力抜群!31歳にして国体出場!

稔さんの次男として生まれた、一二三さん・詩さんの父親・浩二さん。

子どものころから運動能力抜群で、地面で急にバク転やバク宙をしたり、逆立ちをしたかと思えばピシッと動かずにいられるような人だったそうです。

年子の兄とはよくケンカをして、負けて泣いてはまたワーッと立ち向かっていくような、勝気な印象しかないと、同級生が明かしていました。

そこは、詩さんが父親にそっくりなところなんだそうですよ!

兄・一二三さんに何か負けると、泣きながらくらいついていったそうです。

そして父・浩二さんは、水泳教室でも才能を伸ばし、全国ジュニアオリンピックにも出場するほどだったといいます。

その後、浩二さんは持ち前の負けん気を発揮し、水泳に打ち込みましたが、中学・高校と、水泳の成績は伸び悩みました。

その原因は、背が伸びなかったからだと。

当時、練習にも身が入らず、浩二さんは悩んだといいます。

高校卒業後の工場勤めも肌に合わず、職を転々としました。

そんななか、運動が好きだった浩二さんは、何か体を動かす仕事につこうと思い立ちます。

そして、神戸市の消防職員の採用試験を受け、合格。

平成5年、23歳で消防士になりました。

高校時代に挫折してしまった水泳ですが、消防士時代に消防救助技術の全国大会に挑み、入賞したことでまた火がつくことに。

さらに競泳でもタイムを伸ばし、県大会で好成績を残した浩二さん、なんと、平成13年には31歳にして初めて、国体への出場を果たしたのです!

すごいことですよね!

見事にリベンジを果たしたのですね!

平成13年ということは、このときすでに、阿部家には一二三さんと詩さんが誕生していたということですからね、本当に素晴らしいです。

番組でVTRを観ていた一二三さん・詩さんは、そんな父を尊敬し、この父親のもとに生まれてきたよかった、と明かしていました。



阿部一二三・詩の母方のルーツは奄美大島にあり!

阿部一二三さん・詩さんの母・愛さん(旧姓・谷村)にはどんなルーツがあるのでしょうか。

愛さんに谷村家のルーツを訪ねてみると、祖父が奄美大島出身ということまでしか知らないといいます。

愛さんは、奄美大島にも行ったことがないのだとか。

番組の取材班は、鹿児島県奄美大島へ向かいました。

一番古い戸籍から、明治初めの先祖は戸口村(現在の滝郷町)で暮らしていたことがわかりました。

しかし、現在この地域に谷村姓の方は住んでいないようです。

そして、8キロほど離れた奄美市名瀬で、親族が見つかりました。

一二三さん・詩さんの5代前が同じ先祖である、谷村昌平さんご夫妻。

昌平さんは、阿部一二三さん・詩さんが親族だと知らされたとき、あまりに驚いて信じられず、家系図を売る押し売りかなと思ったのだそうです。

急に知らされたら、本当にびっくりしますよね!

姓も違いますし、思いもしないことだったでしょう。

つぎに、一二三さん・詩さんの祖父のいとこ・長谷川百合子さんを訪ねます。

90歳とは思えぬ若さの女性で、驚きました!

谷村家は、かつて大島紬を生産していたといいます。

常に研究心や向上心を持って、大島紬の生産に力を注いだのです。

このルーツを知り、まだ奄美大島に行ったことのない一二三さん・詩さんは、行ってみたいという気持ちが芽生えたのではないでしょうか。

大島紬にも、袖を通してみたくなってしまいますよね。



祖父はスポーツマン!

谷村家で生まれ育った曽祖父の谷二さん。

次男だったこともあり、家業は継がず大阪へ出て大工などの仕事をしたそうです。

その谷二さんの四男として昭和21年に生まれたのが、一二三さん・詩さんの祖父・榮さんです。

祖父はスポーツ万能で、野球やラグビーで活躍するスポーツマンでした。

番組の取材班は、榮さんの妻・谷村香さん(一二三さん・詩さんの祖母)を訪ねます。

榮さんの独身時代のアルバムを見せてくれました。

榮さんがポーズをとっている写真の脇には、直筆のコメントが。

「モテテ モテテ 困った頃」

ユーモラスな榮さん!

でも、本当にイケメンで素敵なんです。

モテすぎて困ったのは、事実だと思いますよ!

そんな榮さんは、チャレンジ精神が旺盛で、どんなことでもトップを目指す行動力と決断力があったのだそうです。

車の運転が好きだった榮さんは、タクシードライバーを経て、28歳のころ「高速産業」という運送会社を立ち上げます。

しかし、第二次オイルショックで運送会社の経営が危機に陥ったのです。

すると榮さんは、きっぱり廃業を決断。

落ち込む間もなく、新たなチャレンジをはじめました。

喫茶店経営などを経て、電化製品の部品の組み立てを行う「谷村製作所」(現在の広田製作所)を立ち上げます。

妻・香さんは、夫の決断を常に応援する、優しさを備えた女性でした。

そんな祖父母の次女が、阿部一二三さん・詩さんの母親・愛さんです。



阿部一二三・詩の両親の馴れ初めは?結婚はいつ?

愛さんは、榮さんの運動神経を受け継ぎ、大阪社会体育専門学校に入学します。

卒業後は、フィットネスクラブにインストラクターとして就職。

一方、平成5年、23歳で消防士になった浩二さん。

ある日、同期と一緒に大阪の繁華街へ食事に行った際、その同期がかわいい女性2人に声をかけたのだそう。

その一人が、のちに一二三さん・詩さんの母となる、谷村愛さんでした。

浩二さんと愛さんはお互い一目でひかれあい、交際へと進みました。

このことは、スタジオでVTRを観ていた一二三さん・詩さんも知らなかった様子。

スタジオでふたりの馴れ初めを知り、仲良し写真をみた一二三さんと詩さん。

詩さんは、恥ずかしそうに「なんか嫌だ」といっていました。

たしかに、両親のなれそめを聞いたり、恋愛時代の写真をみるのは、なんだか気まずいですよね。

一二三さんは「おもしろいですねぇ!」と。

詩さんも「どう生きてきたか知らなかったので感動しました」と感想を述べていました。



阿部一二三・詩の誕生

阿部浩二さんと阿部愛さんが交際を初めて1年半ほどたったころ、あの阪神淡路大震災が起きたのです。

当時消防士だった浩二さんは、もちろん出動。

阿部家があった笠松商店街周辺も大きな被害にあい、家族は無事でしたが家は全焼してしまいました。

その後、不眠不休で働いた浩二さんが、大阪で暮らしていた愛さんと会えたのは、震災からひと月ほど経ってからだったといいます。

そして、1995年、震災から4か月後に、2人は結婚。

浩二さん25歳、愛さん23歳のときでした。

長男・勇一朗さんが誕生し、1997年には次男の一二三さんが誕生しました。

2000年7月には、長女の詩さんが誕生。

元気な鳴き声を上げる、かわいい赤ちゃんでしたよ!



阿部一二三

次男の一二三さんは、人一倍やんちゃな少年でした。

保育園の先生に

「一二三さんはパワーが有り余っているから何かをさせたほうがいい」

といわれたくらいだったそうです。

父と母は相談しました。

父・浩二さんは、自身が背が小さいので、いままで水泳をやっていても「通用せえへんなぁ」とわかっていました。

体が小さいと、フィジカルが大事な種目はなかなか難しいので、体重別のある種目がいいのでは、と考えたそうです。

浩二さんは、幼い一二三さんにテレビで柔道の試合を見せ、こうつぶやいたそうです。

「一二三やったら 世界一になれるよ」

こうして一二三さんは、5歳のときに地元の少年柔道クラブに入ることに。

取材班は、クラブの監督、高田幸博さんのもとへ。

当時の一二三さんの印象を語りました。

「どこにでもいる普通の子」

「体も小さいし、体重2倍3倍の子とよく当たるので、体負け・力負けしてよく負けていた」

試合に負けては泣いてばかりの一二三さん。

そんなわが子をみた負けず嫌いの父は、一緒にトレーニングを始めたそうです。

小学校1年生から中学にかけ、二人三脚でトレーニング。

俊敏性を養うため、細かいステップで階段を駆け上がった後、メディシンボールで体幹を鍛えたそう。

メディシンボールは、浩二さんが国体選手になった頃に体幹を鍛えるために使っていたものです。

浩二さんは柔道を知らないからこそ、一緒にたくさん考えて向き合っていったといいます。

一二三さんは、今の自分があるのは、当時のトレーニングのおかげだと、感謝の気持ちを明かしていました。

なんとも、感動してしまうような親子関係ですよね。

また、父・浩二さんはつねに声掛けがポジティブで、試合中も

「一二三 落ち着いて 大丈夫や」

と連呼していたそうです。

負けても、

「泣かんでええ 次頑張ろう」

と、常に一二三さんの気持ちを盛り上げるのが上手な父親だったといいます。

中学生になった一二三さんは、全国中学校柔道大会で、見事優勝しました。



阿部詩

そんな兄の姿を見て、妹の詩さんも5歳から柔道をはじめます。

最初は楽しんでいただけで、時々父のトレーニングにも行っていたようですが

「ちょっと走ったりトレーニングしたりしてすぐ帰る感じで 邪魔しに行っていました」

と語っていました。

その後、兄・一二三さんが日本一になった姿をみた詩さんの心境に変化が生まれます。

「兄がなれるなら わたしもなれる」

そんな気持ちが湧いてきたのだそうです。

番組のVTRでは、次々と敵を投げ飛ばす詩さんの姿が映し出されました。

とにかく、動きが素早い!

父譲りの負けん気の強さは、兄以上なんですって!

そして、兄・一二三さんと同じく中学生の時に、全国大会で優勝を果たしました。

兄妹そろって日本一!

本当に最強ですね。



阿部一二三・詩がついに世界一に!日体大に進学し

阿部一二三さんも詩さんも、高校生のときに世界選手権で優勝しています。

ついに、世界一をとったのですね!

兄妹は、高校を卒業すると、日体大に進学しました。

しかし、詩さんは上京後、ホームシックにかかってしまいます。

母親に電話して、大号泣したのだそうです。

ビックリした父と母。

当時、母・愛さんは自宅の1階で喫茶店を営んでいましたが、すぐにお店をたたみ、詩さんと一緒に暮らし始めます

電話がかかってきた翌日には、もう東京にいたのだとか。

安らげる場所ができると、いつもの詩さんに戻ったといいます。



阿部一二三・詩が東京オリンピックで金メダル獲得!家族一丸となって戦った!

その後、兄妹そろって東京オリンピックに出場し、兄妹そろって金メダルを取ったのです。

「やっぱり お兄ちゃんも強かった!」

名台詞が残りましたよね!

家族一丸となって戦って手にした、金メダルでした。

番組内で、一二三さんが大学進学で上京する際、父親に残していった手紙が紹介されました。

遊びたいって思うこともいっぱいあったけど 一緒にトレーニングしてよかったと思う

あのトレーニングがなかったら ここまで強くなれてないと思うわ

一緒に夢叶えよな! もっともっと成長するから 誰にも負けへんから!

これはほんの一部ですが、これだけでも十分、阿部家の家族の絆を感じることができるのではないでしょうか。

この強い気持ちのまま、パリオリンピックでも金メダルを狙ってほしいですね。



阿部一二三・詩の両親は子供ファースト!ファミリーヒストリーまとめ

一二三さん・詩さんは、そんな祖父母や両親の決断力の早さや「一番になる」という強い姿勢をしっかり受け継いでいると自覚しているようです。

曽祖父から祖父に受け継がれた強い精神力は、反骨心となって父に受け継がれます。

そして、阿部一二三さんへ、何事にも揺るぐことのない強い意志となって受け継がれているのですね。

それは、間違いなく妹の詩さんにも。

阿部兄妹は、なるべくして世界王者になったのだなと感じました。



コメント

タイトルとURLをコピーしました