今回は、根強い人気を誇るSUPEREIGHT(旧・関ジャニ∞)の横山裕さんに注目!
横山裕さんは、アイドルとしてだけではなく、ドラマやバラエティなどでも現在活躍中ですよね。
2025年の24時間テレビでは、チャリティーマラソンのランナーに挑戦!
また、大人気ドラマ「私の夫と結婚して」の友也役で注目を集めていますよね。
横山裕さんも番組などで自分で話しているので、知っている方も多いかもしれませんが、横山さんの生い立ちはショックを受けるほど壮絶なもの…。
そんな横山裕さんの両親の離婚、母親の急死など、生い立ちについてまとめています。
横山裕の生い立ちは壮絶だった!父親が3人!
横山裕さんの生い立ちが壮絶で、父親と呼んだ人が3人いることがわかりました。
3人の父親とは?
どういうことなのか、生い立ちを調べてみました。
横山裕さんの実家は、大阪府大阪市此花区でした。
3歳の時に両親が離婚したため、4歳からは横山さんは祖父母に育てられます。
過去の番組で、両親が車の中で離婚話をしていたことを鮮明に覚えているとあかしています。
それが子供のころの一番の思い出だと。。。
3歳だった横山裕さんの心に、深い傷を負ってしまったこと、想像しただけで涙が出そうになります。
親権は母親にあったそうですが、お仕事など忙しかったのでしょうか。
横山裕さんは同じ団地の2階上に暮らしていた祖父母に育てられていたそうです。
両親の離婚から2年して、横山さんが5歳のときに母親が再婚したため、また一緒に暮らし始めることになりました。
この再婚により、「横山」の姓になったのです。
横山裕さんが6歳になり、父親の違う弟が生まれました。
しかし、義父と横山裕さんの関係は良くありませんでした。
義父は横山さんに冷たく当たり、「お父さんと呼べ」と手をあげられたこともあったといいます。
その光景を想像すると本当に胸が苦しくなってしまいます。
横山裕さんがチャリティーマラソンランナーを務めた2025年の24時間テレビで、横山裕さんの生い立ちが紹介されました。
そのとき、横山裕さんは、当時のことを次のように語っています。
横山のお父さんとはうまくいってなかった
自分のなかで居場所がなくなった感があって
祖父母のところに逃げた記憶がある
幼い横山裕さんは、新しい家族に戸惑ってしまったのでしょう。
母親も祖父母も、そんな状況にたえられなかったのでしょうか。
横山さんは再び祖父母と生活することになったそうです。
横山裕さんにとって、祖父母の存在は本当に救いだったのでしょうね。
いっぽう、母親と義父の関係は良好で、横山さんが6歳のときに続けて、8歳のときにも弟が生まれます。
その後も横山裕さんだけ祖父母と生活していましたが、横山さんが小学5年生のときに祖父が体調を崩し、一時は7人で暮らしたこともあったといいます。
そして、祖父は横山裕さんが中学2年生のときに亡くなってしまったのです。
横山裕がジャニーズ入所!母親が履歴書を送った?
祖父が亡くなった後、横山裕さんも母親・義父・弟2人と一緒に生活することになりました。
弟とは仲が良かったそうですが、義父との関係は修復できませんでした。
中学卒業後は高校に行かず、働くことを強要されてきたそうです。
今でも横山さんは、義父のことを「あのおっさん」と呼びます。
2人の関係性がうかがえますね。
でも母親からはたくさんの愛情を受けたと、横山さんがある取材で明かしていました。
そんななか、横山さんが中学2年生のときに、母親がジャニーズ事務所に履歴書を送ったのだそうです。
結果、見事合格!
横山裕さんは中学3年生のときにジャニーズに入所し、中学卒業後は家を出て、ジャニーズに所属しながら建設現場で働いていたといいます。
同じ世代ではなかなか経験しないような苦労を、乗り越えてきたのでしょうね。
横山さんの人柄により、職場での人間関係は良好だったそうです。
横山裕の母親が病気になり、義父と離婚!
横山裕さんがまだ20歳になる前のこと。
母親が胃がんを告知されたのです。
そのころのお母さんの様子を、横山裕さんは次のように語っていました。
「だんだん食欲が落ちていき、やせ細っていった」
横山裕さんは、どんなに心配したことでしょう。
そして、母親が病気になったことをきっかけに、夫婦関係がぎくしゃくし、義父とは離婚することに。
え、どうして? ひどすぎます…。
さまざまな事情があったのかもしれませんが、なぜ病気を理由に離婚することになったのか、モヤモヤしてしまいますね…。
横山裕さんは、
「僕がしっかりしないと弟たちの将来がめちゃくちゃになる」
「2人が独り立ちするまで支えなければ」
と考えました。
すでに働いていた横山裕さんも、家計を助けていたそうです。
しかし、横山裕さんの母親ががんになったことで、家計は厳しくなり…
やむなく2人の弟は、児童養護施設で暮らした時期があったといいます。
その期間も、横山裕さんは年末や正月などまとまった休みができると、弟さんたちを東京に呼んで一緒に過ごしたり、たびたび施設に面会に行っていたといいます。
ここまでの話だけでも、まだまだ自分のことで精いっぱいの年齢だった横山裕さんには、相当辛かっただろうなと想像できます。
しかし、横山裕さんは、母親からの愛情をたくさん受けたとあかしています。
ですから、いろいろ事情はあっても深い絆でむずばれていたのでしょうね。
横山裕の母親は急死!死因は?ソロコン決行し歌った涙の「オニギシ」
横山裕さんが関ジャニ∞としてデビューし、活躍している中で、当時50歳だった母親が買い物途中に倒れてしまい、そのまま帰らぬ人となりました。
虚血性心疾患でした。
当時、横山さんはソロコンツアー真っ最中。
スタッフはツアーの中止を提案したそうですが、本人は中止を選ばず最後までやり遂げました。
「来ていただいているお客様には関係のないことやし、絶対バラしたらあかん」とスタッフに言っていたそうです。
コンサート中に、母親を思って書いた「オニギシ」という歌を歌うときは、涙が止まらなかったと、のちに明かしていました。
母親が倒れる前に、大阪城ホールでソロコンサートがあり、そのときには母親も見に来ていたそうで、「親孝行ができた。」と番組で語っています。
50歳は早すぎる死ですね。
横山さんも母親の元へ早く駆けつけたかったことでしょう。
でも、「行ったらおかんが怒る!」と思ったとあかしていました。
自分を奮い立たせて、コンサートを続けることを選択したというのは、お母さんへの思いはもちろんのこと、横山裕さんのプロとしての意識と覚悟がとても高いものであることがわかります。
横山裕の生い立ち!義父の姓を名乗る理由は?
横山裕さんは「横山裕」という名前で活動されていますが、裕というのが芸名というのは有名な話ですよね。
「横山」という名字は、前述のとおり、2人目の義父の姓です。
横山裕さんご本人がテレビ番組で明かしていました。
横山裕さん自身は
「僕ホンマは横山じゃないんやろなって説(笑)」
と笑っていましたが、横山さん自身は義父と関係は良くなくても、家族・弟との唯一の繋がりが、”横山”の姓だという気持ちがあったのかも…と思いました。
横山さんの本名について書かれた記事はコチラ↓↓↓
横山裕の生い立ち!弟は2人いる!
初めにも触れましたが、横山裕さんには父親が違う弟が2人います。
それぞれ6歳と8歳離れており、三男の大学の学費は横山さんが負担していたことはファンの間では有名です。
また、母親が亡くなられた後は3人で大阪で一緒に生活していたと、横山さん本人も明かしていましたね。
「弟たちの面倒は俺がみる」と誓ったのだそうです。
一緒に生活を始めた当時は、兄弟のあいだに距離感が少しあったといいます。
でも、横山裕さんの気持ちが弟たちに伝わったのでしょうか、すぐに打ち解けて仲良くなったそうです。
次男は、母親が亡くなったショックで記憶喪失になり、2年間ほどの記憶を失ってしまったのだといいます。
そんな弟を支えたのも、横山裕さんでした。
次男の結婚式のエピソードはファンの間でも有名ですよね。
横山さんが結婚式をするようにすすめ、トランペットを吹くはずだったのですが、父親代わりに育ててくれた横山さんにと次男が読んだスピーチで号泣してしまい、うまく吹けなかったそうです。
披露したのは、福山雅治さんの「家族になろうよ」でした。
上手く吹けなかったとは言いますが、心のこもった唯一無二の演奏だったのです。
次男とは6歳しか離れていないと言っても、中学卒業後から働いて家計を支えていた横山さんからすると、弟というよりも子供みたいに感情移入してしまったのでしょうか。
また、三男である弟の充さんは大学に進学し、現在税理士として立派に活躍しているそうです。
もちろん、学費はすべて横山裕さんが出しています。
横山裕さんの弟さんたちについては、こちらの記事で詳しくまとめていますので、チェックしてみてくださいね↓↓


横山裕さんは、いまだに義父への複雑な思いは消えていないそうですが、かわいい2人の弟と会わせてくれたことには感謝の気持ちがあるそうです。
横山裕さんだけでなく、弟2人にとっても壮絶な過去だったに違いありませんが、兄弟3人が仲良いだけでも幸せですね。
今後も兄弟3人いい関係が続けばいいなと思います。
弟エピソードもまた番組などで話してくれると嬉しいですね!
また、横山裕さんの歴代彼女について気になる方は、こちらもぜひ↓↓



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